またちょっとぶらつき
先日、相鉄で赤帯7000おいかけしたのですが、身近で同時期の赤帯8500もそろそろ騒がしくなりそう・・。
なので、以前からあまり見れてない方面でちょいと観察してきました。
デビューする直前だか、たまたま通った鷺沼の車庫を電車から見てたらなんか赤い帯の顔を見まして、気になって車庫裏の土手を登りつつ見たのがコレ。
8000に赤い帯入れた新車だ〜でした。(小学生です)
あれから44年です。国電の73なんかも40年ぐらいで引退してますので思えば長生きですね。
当時は5連。それがじわじわ増結され10連に。しかも他私鉄へ乗り入れるまでなるとは・・。
(7000も東武線内までは入らなかったですし)
今回は用件の前に寄り道〜でしたので、ほぼ予備知識無しでの思いつき行動です。
どうせならと、これも普段なじみない都営浅草線で下町へ向かい、押上ひとつ手前の本所吾妻橋で下車。
そこは東武の業平橋(なんたらタワーとは言いたくないあまのじゃく)と浅草の中間ぐらいに出れます。
じつはこのタワーも近くでちゃんと見たのは初めてです。
で、いかにも広報的カットで1枚。雲ひとつない空ですね。嘘写真みたいです。
右下は運河?ですが、ちょっとアレコレ作業中みたいで、あんまり絵にならないのでカットでしたのが残念です。
この後、曳舟まで歩いて良い場所探ししましたが、いまいちダメ。なので各停に乗車。
本来の目的、赤帯電車の運用区域へ移動です。
以前から通っては気になってました釜ケ淵駅で降りてみました。
駅前の踏み切りは五差路の真ん中に有るみたいでした。しかも交通量多め。
そこからくねる構内を見てみつつ。
荒川放水路の土手ぎわなのですが、こちらはいまいち良いポイントみつけられず。
早々に来た各停で二駅移動しました。
牛田駅は京成関屋の真ん前なのですが、駅名が違うので知らないと乗り換え利用しないですね。
(自分もわりと認識遅めでした)
ここからちょっと北千住方面へ歩くと、以前トワイライトゾーンかに出てた引き込み線の遺構があります。
こちらをチラッと見つつ、カーブに有る踏み切りへ行ってみました。
ここは電車で通った時にきになっていた場所でしたので、見え方確認。
引き上げ線が有るのでひろびろと見渡せますが、いろいろと立ちモノ(柵や器具箱・検知器)などが難しいですね。
あと雑草も・・。
駅に戻って、また移動です。
赤帯はまだけっこう見れましたが、変な顔(2020)も増殖はじまりそうですし、
ほんと今のうちだなあです。
今度は一駅戻って堀切。
先ほどは見つけれなかった放水路からみ。ここも土手際で再度確認で。
う〜ん、見つからない・・
再度チャレンジですね(本音は・・けっこう暑くて疲れました)
なんとか放水路とのからみを見たいのですが・・。
ここの直線、放水路作った時に移設されたようで、その前は釜ケ淵〜堀切はゆるくカーブした線形だったようです。
いまでは川の中部分。
今回はここまでにして北千住から日比谷線移動。
ふと思い立ち、都電に乗ろうと降りたのが南千住でした。やはり疲れてました。
日比谷線の新車、お高い台車の効果はありマスですね!(←あくまで個人の感想ですが)
ガクガクやキイキイ、ほとんど感じませんでした。
あ、そういえばこちらの03もお終いでしたね〜。撮り損ねました。
三ノ輪へ移動しまして。こちらも初めての三ノ輪橋。
ひさしぶりに見る都電車輌は・・、まったく都電感じずでした。
ほんとにご無沙汰なのだなあ・・です。
しかし・・、さくらトラムって何?です。東武にしても、きらきらネームの
線名とか、御花畑な頭脳としか・・・
(地方の3セクも同じく、どこ?がまったく通じない「おやじが、若い子に受けるから考えた」みたいな痛い線名はやめてもらいたいです。恥ずかし過ぎて乗りたくないし、聞きたくないです)
令和・鉄始め
明けて5月1日、令和最初の鉄はじめは「乗り・撮り」から
久々カメラを持って出ることになりまして、それならばと寄り道で、
銀色で赤い帯の電車に乗っていつもとは逆方向。
乗り換えたのは銀色で青い帯の電車です。
慣れないスマホ顔。(←古いおじさん的にはポケベル・ゲームボーイの方か?)
目的地でおいかけはじめた銀色に赤帯の電車はコチラになります。↓
この連休中、なぜか相鉄では残り1本の7000が10連化されて限定運用。
(運用離脱した8連から組み換え直しみたいです)
しかも10連フル貫通は初めてかも?とのこと
(Tc+M+M+T+M+M+T+M+M+Tc。今までは中間にTcいれてたりでの10連)
あの最近、車輌正面左に入れてますロゴマークも取り去って無しなのです。
(さらに、ホームページでは運用スジ公開のいたれりつくせり!)
てなことで追いかけつつ堪能いたしましたです。
後半は雨が降ってきてしまいましたのが残念でした。
このあたりで撤収、その後ほんとの用件で三茶へ。(酒、食い有りの打ち合わせです)
で、そのまま24時ごろの目黒駅から5月2日のミッション開始です。
青い高性能なcjm号にて中央道を西へ向かいました。
着いたところはこちらになります。
↓
赤沢でちょっと気になることありましたので、係りの方にお話を聞いてみたり。
80歳超えとはとても見えないFさんという方にお聞きしましたら、サプライズなこともあってテンション上がりました!
(赤沢の保存線職場で、木曽森林鉄道現役当時の運転手だった最後の方でした。)
そして、このミッション目的地の松原運動公園。
林鉄くらぶの皆様に、またまたたいへんお世話になってしまいました。
運転、cjmさん大変お疲れさまでありました。
ところで、相鉄の気になりました件。
ほんと、病んでる?なのですが、VVVF車に懐かしを感じて・・・
吊りかけ電車に乗ってる・・・みたい
↓音だけなのですが、ちょっとだけ車内にて録ってみました(カメラでなので低質なですが)
※追記
この木曽入りしてた5月2日の昼ごろ、相鉄7000が人身事故だったとのこと・・
キレイに元気な走りしてたのに、なんと不運な・・
kondouraな平成時間?
さよなら平成〜・・に騒ぐのも・・なのですが、なんとなく考えますと
あ〜、すべてこの平成での出来事だなあ。。とアレコレ思い深くですのでちょいと自分記録にて
社会人になっての模型はNゲージでした。とはいえ、広げて楽しめる時間もなく、
製品を買っては棚にしまい込んだまま。
たしかカトーで457?だったかが発売されたとのことで模型店へ。
そしたら「もう無いです。予約されないとほぼダメですよ=」だとか。
そこでふと「慌てて買うだけで、遊びもせずに。なんだかな〜」との気持ちに。
そんな中、外回りで通った渋谷の東横店で鉄も連ショーの告知が目に入りまして、
ちょっと涼みにのぞいてみました。(Nゲージャーの自分は、何年も行ったことが無いイベントです)
カツミは玉電200(いいな〜、HOだとこんなの有るんだー・・←今とは真逆です)
乗工社はNのC56(お、これは良いなあ。真鍮キットか〜、ちょっと難しいなあ)
の他、玉電の40(これも欲しいなあ〜。でもHOの真鍮キットか〜)
その中でモデルワーゲンブースに目が止まりました。
ん?なんか線路幅が狭いなあ・・
近「これ、13mmですか?」
M川さん「いえ、12mmです」
近「??・・、12mmってレール幅あるんですか?」
M川さん「1/87でサブロクを再現したんです。海外では1/87の模型が主流なんです」
・・・・・・・
近「一つください」
大きいのは1/80で、1/87の製品もあるとは認識してなかったのですね。
(離れていた空白時間が長かった)
基本、狭いレールがやはり好きなのだなあ〜です。
ここから僕の平成鉄道模型物語が始まってしまった・・・だと思います。
必死にNゲージの新製品を買うよりも、1両じっくり大きな模型を作るのが良いかもと思ったのでした。
↓
新たにHOスケール(1/87で12mmや9mmのナロー系)で集め直し〜・・なので、本質的には変われてませんでしたが。
その頃、ネットで個人のホームページがぼちぼち出回ってきてまして、アレコレさぼりつつ見つけたのがシェフさんのページ。
12mm北海道型の他、簡易軌道のレイアウトはTMSでの記憶もバッチリでした。
(その前に掲載されたmノルさんの簡易軌道とともに!)
その後、カルタゴサロンが始まりますが、モデルワーゲンツアーで初めて木曽へも行きました。
そこから木曽モジュールクラブ&カルタゴサロンなど、同好の仲間との楽しい平成物語が始まりましたです。
根性論みたいな田んぼ作成と、ほんとに祭り直前に仕立てました桜の記事も懐かしいです。
とくに桜は・・何か降りてきた・・みたいに公開当日の朝3時に突如仕立てました・・
疲れた頭で、汚れたスポンジをはさみで切り刻む触感にひきこまれた感じです。
(緩衝材のプチプチつぶしみたいに)
その後、軽便祭に続いていきますですね〜。この用意もまたいろいろ有った記憶です。
木曽モジュールで、暴走気味にDCC導入。
(いろいろとスミマセン・・・・)
たぶん、5tにデコーダー入らなければこれも無かったですね。
令和はどうなるかな〜・・と、思い深々で